萬古焼とは


  現在、紫泥急須や土鍋がその代表とされる『四日市萬古焼』。萬古焼は、江戸時代元文年間(1736~1740)に桑名の商人、沼波弄山が茶の趣味が高じて、現在の三重郡朝日町小向に窯を築き自分で茶器を焼き始めたのが始まりとされています。その作品に変わらずに永遠に残っていくようにとの意味から『萬古』または『萬古不易』の印を押したのが名前のいわれと言われています。『萬古の印があることがいちばんの特徴』と言われるほど形は多彩。現在では、四日市市と菰野町を中心に窯元数は100社以上にのぼります。

  土鍋は萬古焼を代表する商品です。生産高は国内の約80%を占めています。街中で見られる国産品土鍋のほとんどが萬古焼と言っても過言ではないでしょう。近年は大きさや形状も様々に増え、品目を挙げれば、陶板、タジン鍋、ごはん鍋、炭コンロなどの多彩な商品が開発されています。特に高度な技術を使った電磁調理器用のIH対応土鍋の開発も盛んです。

  萬古焼土鍋の大きな特徴はその陶土にあります。耐熱性に特に優れ、ガスレンジや炭火などの空焚きや直火に対しても、高度の耐久性を発揮します。それは陶土原料に含まれるリチウム鉱石の働きによるもので、この鉱石が陶土中に40~50%含有されているために直火にかけたり空焚きに対しても十二分に耐える商品が開発できるのです。

  急須もまた、土鍋と並び萬古焼を代表する商品の一つです。使えば使うほどに味わいと光沢を増すと言われています。特に昭和54年に通産産業大臣(現在の経済産業大臣)指定の伝統的工芸品に指定された萬古焼のシンボルは紫泥の急須です。鉄分を含む地元の粘土を使用し、還元焼成を行い、釉薬をかけない焼き締まった紫褐色は緑茶よくマッチします。生産量全国3位を誇る地元の伊勢茶と萬古焼急須との取り合わせはまさに“あ・うん”の呼吸です。

  萬古焼の食器は、明治末期(1911年頃)に水谷寅次郎が半磁器の製造技術を開発し、『大正焼』として売り出し、近代産業として発展させました。半磁器とは陶器と磁器の中間的な性質を持ち、磁器の硬質さと陶器の柔らかさを兼ね備えた焼き物です。陶器より強度が増し、大きな成形に適しており、下絵付けの発色が良いのが特徴です。半磁器の出現により萬古焼の生産は飛躍的に伸び、四日市港からの輸出も拡大し、全国有数の陶磁器産地として育ってきました。現在では、ライフスタイルに合った機能性のある様々なデザインのテーブルウェアを提案し、日本全国はもちろん海外にもその市場を広げています。平成21年には『四日市萬古焼』は地域団体商標に登録されました。

 

引用元:【よくわかる四日市萬古焼読本】(萬古陶磁器振興協同組合連合会 発行)

 

 


幸生窯 (kouseigama)

三重県津市安濃町田端上野975-89

     

お問い合わせは otobanko@gmail.com までお願いいたします。